天冥の標
小川一水氏が描く、壮大な宇宙SFストーリーの中の第5作目。
物語が動き出す。
というか、やっと背景が朧気ながら見えてきた。
気が付かなかったが、生命体とは、これほど多様であり、また多様であるべき。
何も、ヒトの形をしていることが、生命体の条件ではない。
自我も、ヒトだけものもではない。
生命体すべてが持ち得ることであるはずであることを、この作品を読んで気がつく。
当たり前なコトを、いまやっと気がついた。
多様な生命体を考えていけば、コンピューターに展開されるプログラムも
生命体と定義することも、たしかに可能だ。
そこには、自我が必ず必要になるが。。。
この作品の面白いのは、自分にない視点から見たストーリーの展開だからだろう。
私が描く宇宙の主人公は、地球に住む人間、となるが
小川氏の本作では、必ずしも地球に住む人間が主人公ではない。
数ある生命体の一つでしか無い。
だから、時に非常に淡白に表現される。
生まれ、そして絶滅していく、よくある生命体の一つであるように
至極客観的に、そして至極冷静に。
そんな世界観だからこそ、宇宙自体に魅力が出る。
無機質な宇宙ではなく、生命が溢れる賑やかな宇宙。
そんな宇宙像。
なんて魅力的なのだろう。
生まれ、生き続けようとする姿。
そして、その生存をかけた戦い。
見栄の張り合いの末の戦いではなく、種の存続を求める戦い。
きっとそういう展開がこの後に待っているのだろう。
さて、いろんなコトがわかってきたが、まだまだ謎は多い。
第一作目で出てきた「救世群」。
その姿が、他の作品と大きく異なることが、私の一番の気になる問題。
世界は広がった。
これから、時と意思が絡みあった連鎖を起こすのだろうね。
次が待ち遠しい。
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